- 第10回
- 清 竜人

久々の更新となった(お待たせしてごめんなさい!)『マイファーストレコード』の第8回には、第1回CDショップ大賞の準大賞作品に選ばれた、大橋トリオが登場。父親が音楽関係の仕事をしていたことで、音楽に囲まれた環境で育った彼にとっての原点は、今の音楽作りに繋がっているようで……。
撮影 渡辺 誠 文 朴 順梨
自分で最初に買ったレコードって、覚えてないんです。今でもそうなんですけど、よっぽど欲しいって思わない限り買わない性分なんで。ましてや子供の頃なんて、お金がないじゃないですか。それに僕、昔の記憶はどんどん消していくタイプなんです。だから嫌なこともたくさんあったはずなんだけど、全然覚えてなくて。生きるのが楽でしょうがない(笑)。

- オスカー・ピーターソン
- 『WE GET REQUESTS』
ただずっとジャズを勉強してきたんですけど、そのきっかけになったのは父親が持っていた、オスカー・ピーターソンの『WE GET REQUESTS』っていうアルバムです。これを聴いてすごく感動したんですよ。あとはシャカタクですね。家族でどこかに遊びに行った帰りの車中で眠くなって、後部座席で横になりながら高速道路の電灯がヒュンヒュン流れるのを『DRIVIN’HARD』というアルバムに入っている、『Living In the U.K.』を聴きながら眺めてたのが、自分の音楽の原点と言っても過言ではないかもしれません。実は準大賞を頂いた『THIS IS MUSIC』って、ドライブミュージックを意識してるんですよ。言い換えるとそれは、シャカタクのそのアルバムを意識してるのかもしれない。
父親が音響関係の仕事をしていたことから、常に音楽は身近な場所にあった。さぞスパルタ教育で音楽を仕込まれたに違いないと思いきや、実はそうでもなかったと語った。

- Shakatak
- 『DRIVIN’HARD』
教育的指導を受けたというよりは、家に音楽が転がってた感じです。でも邦楽のレコードが全然ない家庭だったんですよ。子供の頃は父親がビリー・ジョエルやクインシー・ジョーンズを爆音でかけてたのを、よく一緒に聴いてました。でも父親からは音楽の仕事を勧められたことはなくて、「何でもいいから食えるようになれ」って言われていて。
3~4歳の頃にヤマハの音楽教室に通い始めて、そこでエレクトーンを弾いたり、皆で歌ったりしていました。でもそれは親に連れて行かれたからで、自発的ではありませんでした。

- Michael Jackson
- 『Thriller』
自分で最初に始めた楽器はドラムです。小学生の頃に父の会社に遊びに行ったんですけど、地下のショールームにたまたま、社員の方のドラムが置いてあったんです。で、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のPVをモニターに映しながら、親父がそのドラムを叩き出したんですよ。それがすごくカッコよくて、「なんじゃこりゃー! 絶対自分もやる! バンドを組む!」って思いました。でも当時は小学生だったから、どうやってバンドを作っていいか全く分かりませんでした。家にドラムもなかったし。と思ってたらある日親が、中古のシンセドラムを買ってきたんですよ。その時は意図がよくわからなかったんですけど、今思うと僕のためだったんでしょう。本当にありがたい(笑)。

- DOOBIE BROTHERS
- 『GREATEST HITS』
小学生の時は曲に合わせる練習はしてなかったんですけど、中学生になってから、ドラム教室に通い始めました。そこではドゥービー・ブラザーズの『China Grove』やリンドバーグの『BELIEVE IN LOVE』など、教材としてロックやポップスを一通り練習しました。でも家から1時間半ぐらいかかって大変だったから、半年でやめちゃったんですよ。

- LINDBERG
- 『LINDBERG XX』
相変わらずバンドはやりたかったけどメンバーはいなくて。だから1年の時はバレーボール部だったんですけど、2年から吹奏楽部に入りました。でもパーカッション志望だったんですけど担当者がたくさんいたから、「お前はサックスやれよ」って言われて。「うーんサックスかあ。まあ悪くはないな」って気持ちになった時に、「お前ドラム習ってるんだって?」ってことで、パーカッションになりました(笑)。
部活では当時ヒットしていた歌謡曲とかクラシックの名曲とか、色々演奏しましたね。すごく楽しかったけど吹奏楽はやり尽くした気もしたので、高校ではまたバレーボール部に入りました。でもそこでギターが弾ける奴と出会えたんですよ。その後歌が上手い同級生とも知り合い、その彼が仲の良かった友達がたまたまベース経験者だったりもして、ようやくバンドを結成するに至ったんです。で、ある時その4人でセッションをしたんですけど、それがすごく嬉しくて楽しくて。あの感動を超えるセッションには、その後も出会えていないかもしれません。
高校生になった大橋青年が通っていたのは、千葉パルコの中のタワーレコード。地元のショップにはなかった試聴機が並んでいて、興味津々だったそうだ。
CDショップが自分にとっての、新しい音楽との出会いの場所だったんです。ジャケ買いもよくしてましたけど、大抵失敗しましたね。同じアーティストでも発売時期によって内容が全然違ったりするじゃないですか。今はネットで試聴できるから狙ったものを買えるけど、当時はそこまで色々聴くことはできませんでしたから。
その後は音大に進学。卒業後は楽曲提供などの仕事を経て、今年5月にメジャーデビューを果たした。ところで、なぜソロなのに「トリオ」なんだろう?
名前を“大橋トリオ”にしたのは、トリッキーな面白さを狙ったのもあるんですけど、ラジオでDJの人が英語の発音で「大橋トゥリウォ~」って言うのを聴いたら面白いだろうなって気持ちがあって。先日ある方が本当にそう言ってくれたので、してやったりでしたね(笑)。
元々裏方音楽家としてやっていこうと思っていたので、実はまだ、自分の歌を楽しめるまでの気持ちに至っていないんです。自信が持てないんですよ。そもそもなぜ歌うようになったかというと、楽曲提供の際に入れていた僕の仮歌を事務所の社長が聴いて、「いいじゃない」って言ったことがきっかけなんです。元々趣味では歌っていたんですけど……。で、そこから大橋トリオとしての活動が始まるんですけど、今でも自分自身を見られるのは嬉しい反面、ちょっと恥ずかしくて。とはいえ自分の中からどんな音がこの先出てくるのか、それを楽しみにしている気持ちもあります。両立は難しいとは思うんですけど、歌と作曲の両方を続けていきたいと思っています。がむしゃらにやれることはやって、「これでいい」と納得のいくものを発表していけたら最高ですね。







